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寇 主銘さんの日記

2016.12.10

  中国では、秋は寓意的な言葉だ。秋の商(中国古代五音のひとつ)は傷と同音で,全てが枯れ落ち,廃れる様子の表れだ。欧陽修の「秋声赋」にも、詳らかに述べられている。自分にとっては落葉が根にかえってゆく自然の摂理が印象深い。

                           故郷の秋

 北国の工業都市である沈陽の秋は特筆すべきものはない。天高くや爽快な秋などといいながら、深呼吸を繰り返そうものならむせってしまう。早朝の秋風は刺すように冷たいのに、昼は暑いぐらいだ。そしてまた夜になると一気に冷え込む。でもそのおかげで紅葉は本当に素晴らしい。もちろん、この美しすぎる紅葉は煩わしいこともある。模範的な生徒として掃除は必須だ。なので落ちてくる枯葉はまったくやっかいな存在だ。「切ろうとしても、なんとかしようにもどうしようもない悲しみ」なんていう詩があるならこれは「掃いても掃いても、一向に片付かない北国の落葉」って言えるだろう。落ち葉といえば、一般的には秋の感傷か、命あるもの必ず滅び、自然や時間の無常さを連想するんだろうね。故郷を思うといえば、自分は留学生として、故郷を離れ孤軍奮闘し、理想に向かっているけれど、やっぱり人間って故郷を想わずにはいられない動物なんだと思うよ。感慨にふけるのも仕方のないことだ。特に異国に身を置くと、それを痛切に感じる。家が懐かしくて懐かしくて。でもこの家、という言葉、故郷の概念と重なるかといえば、微妙と言わざるを得ない。。。。なにはともあれ、沈陽の秋がどうであれ、十分に懐かしい。今は大阪に住んでいる。秋の紅葉は京都のように有名でもないし、富山のようなおもしろいお祭りもなく、いたって普通の毎日だ。自然はいつのまにか人の心を落ち着かせて、ここに帰属する安心感を抱かせてくれる。毎日部活が終わったあと、疲れた体で自転車をこぎながら、見知らぬ街を眺めてゆく。家々に灯る明かりが、強烈な思慕の情をかきたてる。そんなことを考えているうちに、いつのまにか家に着いている。庭から家の中を窓越しに眺めれば、ホストファミリーたちがご飯の準備をしてくれているにぎやかな様子がみえる。すぐにここが自分の家なんだ、という思いがわきおこり、こここそが帰るべき場所なんだ、と心から思える。どんな国、場所だろうと、きっとあなたにとって嬉しい、自分の帰るところなんだと思える場所がある。そここそが家。。。本当に、一人で帰る道すがら、家でのおいしい夕飯やにぎやかな情景を思い浮かべるたびに、自分は幸せだなと思う。日本で自分は孤独ではない。それどころかそばにいて受け入れてくれる家族こそが自分の故郷だと言える。だったら、大阪はまさに自分の第二の故郷だ。

  早朝、写真を撮ってみたんだ。朝日に映える街。大阪の秋は人の気持ちを穏やかにしてくれる。。。。沈陽の秋は人に思いを託させる。これは自分の故郷の秋だ、落葉は根にかえり、沈陽も大阪もすべて自分のルーツだ。秋は欧陽修が謳ったような感傷的なことばかりではない。少なくとも自分が実感している故郷の秋はとても幸せだ。

コメント

  • 村田さん

    瀋陽の秋と、第二の故郷となりつつある大阪の秋。寇さんにはどちらも大切なものなんだと伝わって来ます。自分にとって大切な人や場所が増えるということはつまり、自分の世界がそれだけ広がるということだと思います。寇さんが大阪でもっと沢山大切なものを見つけられるよう心から願っています。

  • 劉 鈺辰さん

    いい文章だね。大切な思い出はいつまでも心のなかにしまっておいてね

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