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Voice ~参加者の声~ [高校生招へい事業] vol.23 原岡 信子さん

中国の孫との出遇い ― 再会を楽しみに ―

名前
原岡 信子 はらおか のぶこ さん

プロフィール
佐賀県生まれ。龍谷高等学校校長の喜多先生の母親。ホストファミリー探しで苦労している龍谷高校のため、12期生の禹林強くんの受入を決断。龍谷短期大学名誉教授の夫と一緒に家の書斎を改造し、地域の子供たちが放課後立ち寄って自習ができるように、学童図書館(小鳥の来る日文庫館)蔵を開設。禹くんが留学中は地域の行事などにも引っ張り出し、貴重な体験をたくさんさせていただいた。


  禹君と楽しく過ごした十一ヶ月を経て、母国に帰って早二ヶ月少々ですがあっという間の十一ヶ月でした。

  禹君を迎える前は老老家庭に来てくれるだろうか?大丈夫だろうか?という不安と、反面絶対楽しく生活してもらおうと思っていました。禹君を迎える一週間前位からは迎える日を楽しみにしていました。


  昨年九月七日、龍谷高校校長の喜多(私の次男)が夕方連れてきてくれた時に初対面で感じたことは「あっ我家の孫だ」ということでした。挨拶をして部屋の案内、お風呂、お手洗い、そして地区の決まり事等々夕食を摂りながら話をしました。一時間も話をしていると笑顔も見えるようになりました。禹君の部屋には市松人形を飾っていましたが、一夜明けると起きてきてから「部屋に人形があったので恐ろしくてドキドキしました」との事。「何か異常があったか」と問うたら「別になにもなかったです」と答えが返ってきました。その後は「私が好きで飾っているのに何もあるはずがない。安心しなさい。」と言って大笑いしたことでした。


  一泊して翌日は「海を知らないし、船に乗ったことがない」という禹君を連れて、喜多と我家で唐津まで魚釣りに出かけ、船にも乗り、夕食には釣り上げた魚を食べられて大満足でした。その日から孫家族が来たので一晩で大勢八人家族になり、禹くんは曾孫たちを自分に妹ができたと喜んで面倒を見てくれました。かわいがってくれている様子を見ると二、三日前に我が家に来たとは思えないくらい家族に馴染んでくれていました。


  翌日からは学校でしたが、「学校までの距離が十キロもあるのですか」と言いながらも筋力をつけると張り切って自転車通学をしてくれました。学校から帰宅したら友達のこと、部活動のことなど何でも話してくれました。運動関係の部活動はどこの国にもあるからと茶道部に入部し頑張りました。はじめは正座が苦手なようでしたが二ヶ月ほどもすると正座もできるようになり、我家に来客があった時はお抹茶を立ててお運びもし、来客の皆さんからお褒めの言葉をいただき大変嬉しいことでした。

  来日して二週間ほど経ったところで、子どもや孫たち、叔父や叔母もあつまり禹君の歓迎会をしました。禹君のご両親にもテレビ電話で話をして喜んでもらいました。夕食後は毎日一時間ほど話をして幼い頃の話や両親のこと、中国での食べ物のことなどたくさん話をしてくれました。


  十月初旬には「季節の変わり目には衣替えするように部屋の中や食器も変え、季節を楽しむよ」と話をすると感心して聞いてくれました。畑の仕事も耕運機を使って手伝ってくれましたが、途中でカエルを見つけると追いかけ、やっぱり子供らしさも見えてとてもかわいい孫でした。


  暮れの大掃除は垣根の剪定や窓磨きなど積極的に手伝ってくれましたし、町民体育大会には孫と一緒にリレーに出場し、地域の皆さんにもとても喜ばれていました。

  学校で取材を受けた時は「何が一番楽しいですか」と質問され、「弁当を食べること」と答えていましたがそれを聞いて明日の弁当はもっと美味しく作ってやろうと、私自身更に張り切ることができました。


  帰国近くになって長男(佐賀県教育庁勤務)が、九州大学の見学に連れていき、また満足してくれていたようです。その数日後は(歓迎会のメンバーで)送別会をし、学校の友人達からも数日間に渡ってたくさんおみやげを頂いていたようです。学校で教わったことで「自分一人では生きられない、周りの人たちに助けられている」という事を話してくれました。


  そこで禹君にも「あなたは人間として魅力があり、人から好かれる性格でもある。教わったことは忘れないで立派に成人して欲しい。」と話したことでした。帰国する日は佐賀空港まで全員で見送りに行きましたが最後まで涙涙の別れでした。しかし私は「ここしばらく中国へ留学させている。また来日してくれることだろう」と思って再会を待つことにしています。

2018年9月16日
原岡 信子

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