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留学ドキュメンタリー

留学ドキュメンタリー 第3話 「周りに見守られながら」雒雪婷さん(京都)

第3話では、京都の立命館高等学校に通う雒雪婷さんにクローズアップ。留学生活がスタートしてから約3か月。学校でも様々な活動に意欲的に取り組み、充実した留学生活を送っている様子を取材しました。

クラスメート


学校へはバスと電車を乗り継いで片道1時間ほど。

中国東北部の遼寧省にある進学校「東北育才学校」からやってきた雒雪婷(らくせつてい)さん。昨年夏に初めて会った時、彼女の趣味である囲碁の知的で物静かなイメージがそのまま当てはまりそうな印象を持った。来日してから3ヶ月半が過ぎ、2度目に会った雒さんは前回の印象とは少し変わって、いきいきとして明るく、少しはにかんで学校生活の様子を話しながら、校内を案内してくれた。
ちょうどこの日は期末試験の最終日で、「試験の途中、手が冷たくなっちゃって」と緊張した面持ちで雒さんは話をしていた。

試験後の解放感があふれたにぎやかな教室を訪れると、雒さんがクラスメートを紹介してくれた。「勉強ができる」「優しい」というのが、クラスメート達の雒さん評だ。時間が経つと共にクラスに溶け込んでいるようで、「最初はおとなしいと思ったけれど、案外よくしゃべるよね」「一緒にカラオケ行ったよね」など。放課後は忙しくてなかなか一緒に遊ぶ時間は取れないらしいが、行事ごとにクラスメートで集まって”打ち上げ”をするのが楽しみだそうだ。


開始1時間前には集まり、自主練習を熱心に行う。

学校生活

部室や食堂など訪れた先々で、出会う生徒に「雒ちゃん」と色んな生徒が呼びかけてくる。部活は、趣味の囲碁やバドミントン部はなかったため、部員に女子が多く、友達がたくさんできそうだと感じた吹奏楽部に入部し、フルートを担当に決めた。

「日本の学校の良いところは『部活』があるところ。それに生徒が非常に真面目に取り組んでいる。私たちの部活は、土曜日の練習は通常16時に終わるけれど、19時まで練習している生徒もいる」

立命館高校はクラブ活動も盛んだが、その他にも様々な取り組みを積極的に行っている。昨年11月、学校主催のJSSF(ジャパン・スーパー・サイエンス・フェア)が開催され、雒さんは日本人生徒とペアになって、ハワイから来日したアメリカの高校生達のバディを務めた。バディとは、宿泊施設の説明、観光名所や食事の案内をしたりするサポート役のようなものだ。日本に来て2ヶ月足らずで京都を案内しなければならないなんて、さぞ大変な思いをしたのではと思い聞いてみると、「すっごく楽しかった!」と意外な答えが返ってきて、次のような感想を続けてくれた。


JSSFに参加したハワイの生徒と京都観光の際にパチリ。

「晩御飯を食べる場所はbuddy(バディ)が決めるから、私にとってほんとに難しいことだった。私も外国人として、日本に来て2ヶ月しかたっていないので、日本の有名な食べものについてよくわからないから、本当の日本料理を食べたいと言われて、頭の中で思い出せるのはたこ焼きとおすしだけだった。でも、みんなはもうそれを食べたことがあるから、ちょっと新しい食べ物を試してみたいと言い、私は困って、電話でほかのbuddyに聞いてお好み焼きを食べることにした。JSSFのおかげで、私は始めてもんじゃとお好み焼きを食べた。めっちゃおいしかった。ハワイの生徒も満足そうだった。」

ホストとして案内しながら、ちゃっかり自分も楽しんだようだ。JSSFではホストとして、案内するだけでなく、来日したハワイの高校生からハワイの文化を学ぶ経験もしたようで、11月18日の日記で次のように感想を書いている。

「私はハワイの生徒に誘われて、一緒に文化発表に参加してダンスをした。練習時間が短かったから、私は何度もミスしたけど楽しかった。その時自分がもうハワイのグループの一員になったと強く感じた。閉会式の後ようやく別れる時間になった。別れる時は思わずに泣いてしまった。たぶんもう絆を作ったからだ。」

(11月18日の日記より)

ホストファミリー

ホームステイ先は、ホストファミリーの家族4人にアメリカやドイツから来た留学生3人が暮らす大変にぎやかな家庭だ。ホストの長岡さんは、18年前からホストファミリーを始めたベテランで、様々な国の留学生を受け入れてきた理由を『結局、人が好きなんです』と笑って話してくれた。そんな長岡さんが中国人の留学生について、次のように語ってくれた。

「中国からきた留学生の子は、とっても素朴。「昭和の子」みたい(笑)。脱いだパジャマはきちんとたたむ、とか”しつけ”もちゃんとされていて、感心することが多い」。

多くの留学生を上手く受け入れるコツのようなものがあるか聞いてみたところ、次のように教えてくれた。

「我が家には特にルールはありません。洗濯物は朝のうちに出す、とかそういう基本はありますけど(笑)。普通のお母さんがやってあげることをやってあげたいと思っています。無理をしない、自然体。それが(異文化のもの同士がうまくやっていく)コツかな」


ホストマザーの長岡さんと。仕事をしつつチャリティー活動などにも熱心なスーパーマザーだ

自然体で本当のお母さんのように振る舞うというのは簡単そうで難しい。「何か怒られたことはない?」と雒さんに水を向けてみた。雒さんは「怒られたことはないですけど」と前置きしつつ、「一度学校の文化祭の打ち上げで遅くなってしまって、帰りのバスがなくなってしまったことがあって。それが迷惑をかけたかなって思ってます」と話してくれた。

「一度、バスに乗り遅れたって連絡があったことがありました。迎えにいくにも、私と夫はアルコールが入っていたので、どうするどうするって家族で相談して、結局娘と息子が二人で自転車で迎えに行ってくれました。それで娘が雒さんといっしょにタクシーに乗って帰ってきたかな」

その時の事を長岡さんはそのように語ってくれた。ホストファミリーの家族みんなが雒さんを家族のように受け入れてくれている。

「ホームシックには全然なりませんでした。スカイプ(インターネット電話)で週に1、2度中国の両親と話していますし。中国のお母さんのほうが寂しがって、仕事の後勉強をしに行っていると言ってました」

ホームシックになることもなく、一見順風満帆にきているようだが、学校で一度泣いてしまったことがあるそうだ。9月の尖閣諸島の問題で、日中関係が悪化した時期のことだ。中国からきた留学生は少なからずセンシティブにならざるを得ない時期だった。もちろん周囲の生徒や先生たちは、1人のクラスメートとしていつもと同じように接するのだが、本人は色々な思いを抱えていたのだろう。その日、彼女の大好きだという日本語の授業で、たまたまその問題に話が及んだとき、感情が高ぶりすぎて泣いてしまった。ちょうどその日は、その授業の直後に1000人近くの中学生の前で、留学生が各自10分ほどのプレゼンテーションを行う国際理解講座が開催される日で、会場に着いてもまだ泣いていたそうだ。その時の事をずっと見守っていた留学生担当の浅川先生は次のように思い出してくれた。

ホールに現れた時には泣いていました。大泣きした状態で来て、でもプレゼンが始まるとバチっとこなして、その後また泣いて帰りました。終わると気が緩んだんでしょうね。 すごいなぁ、根性あるなぁと思いましたよ。それから日本語の先生と再度コミュニケーションを図って。何が悪いとかじゃなく、文化の違いとか考え方の違いとか。日本に来てまだ1ヶ月くらいだったので、彼女にとってもちょっとしんどかった時期かもしれませんね」


フルートを練習中。「一年後、コンサートに出られるかな・・?」

国と国との関係は、彼女の努力だけでは解決できない問題かも知れないが、雒さんと周囲の人たちはお互いに理解をしようとする事で絆を育みつつある。日中間も少し落ち着きはじめ、雒さんもそれに合わせるように落ち着きを少しずつ取り戻してきたようだ。日本に来る前の中国での先生の言葉が思い出される。

「日本に来る前、中国の学校の先生から『日本人は自分のことは自分でする。迷惑をかけないようにしなきゃだめだよ』と言われました。でも日本に来たら皆親切にしてくれて、私から話しかけなきゃ、と思っていたのに向こうから話しかけてきてくれた」

最後に、「あと残りの時間で日本でやりたいことはある?」と雒さんに聞いてみたところ、「男の子の友達を作りたい。中国にいた時はいっぱいいたから」と笑って答えてくれた。まだまだ、日本でやりたいことがいっぱいあるようだ。

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