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卒業生インタビュー

インタビュー 心連心プログラム修了生の「日中交流の担い手」として成長した様子を取材します。

Vol.037 周 嘉鏐 さん

写真を拡大大学院修了を前に、論文作成に取り組む周さん。

名前
周 嘉鏐しゅう  かりゅう さん

プロフィール
  河南省洛陽市出身。「心連心:中国高校生長期招へい事業」第三期生として2008年に来日。鹿児島の神村学園高等部などに留学。帰国後に高校を卒業し、2010年秋に再び日本へ。日本語学校を経て、近畿大学経営学部に入学。2014年4月、同大大学院に進学。2016年春、修士課程を修了し、大手アパレルメーカーに入社予定。

  周嘉鏐さんとの待ち合わせは、周さんの家の最寄駅構内にあるベーカリーショップ。分かりやすい場所をとお願いすると、即座にそして的確にお店を指定してくれた。目印となるものはお互いに告げていなかったけれど、アパレル企業に就職が内定したと聞いている。きっと洋服好きのオシャレな女子学生だろう、すぐにわかるはず。

  約束の時間より少し前に現れた女性と目があった。紺のウールコートに白いセーターと黒を基調としたスカート、足元のベージュのムートン・ショートブーツがアクセントになっている。やっぱり、周さんだった。

“お母さん”から教わった他人への「気遣い」


  周さんは現在、近畿大学の大学院生。就職先も決まり、週に1度のアルバイトをのぞけば修士論文の執筆漬けの毎日だ。

  心連心プログラム第三期生の周さん。2008年から2009年にかけて留学したのは、仙台と鹿児島の高校に半年ずつ。思い出深い1年だったが、特に念願だったホームステイができた鹿児島での生活が心に残る。

  「びっくりしたのは、お風呂に入る順番があることでした。“お父さん”が最初で、次に“お兄さん”か自分、そして最後に入るのは“お母さん”でした」

  気遣いの大切さも“お母さん“から教わった。例えば、洗面台を使った後には、さっと掃除をする。

  「後に使う人のことを考えるなんて意識したこともなかったですが、そういう心遣いがあることを知ってよかったと思います」

  中国の都市部の子どもたちは家庭でお手伝いをする習慣がほとんどない。周さんもその一人。ホームステイ先では食器を洗ったり、洗濯物をたたんだり、お風呂掃除もした。当初はとまどいもあっただろうが、今の自立した一人暮らしを支えているはずだ。

偏食改善


写真を拡大お料理は大好き。料理教室でケーキ作りも習った。

  新しい生活の中で一番つらかったのは、食事だったという。

  「お肉は匂いをかぐだけで吐き気がして、中国にいる頃からずっと食べられませんでした。好き嫌いがあると“お母さん”にも迷惑をかけるし、申し訳ないと思いました。お弁当作りも大変だったのではないかと思います。最初はおにぎりと野菜ばかりでした。それでもいつも美味しくて、彩りのきれいなお弁当でした」

  それで今は?

  「少しずつ食べられるようになっていき、今はふつうに食べられるようになりました(笑)。“お母さん”のおかげです。ご飯を作るお手伝いをしたこともよかったです。ステーキ、とんかつ、から揚げが好きですし、自分でも作りますよ」

  中国のお母さんはさぞ、びっくりしたことだろう。

  得意料理は、から揚げとパスタ。から揚げは“お母さん”に教わったレシピを自分流にアレンジして作る。黒コショウと唐辛子を加えた、ちょっと辛めのから揚げだそう。

いつか社長に、だから経営の知識を


写真を拡大大学卒業式では成績優秀者に贈られる学部長賞を授与された。

  中国に戻り、高校を卒業。再び来日したのは2010年9月下旬。名古屋の日本語学校に通いながら、大学受験の準備とリサーチを始めた。いつかは社長になりたい――、だから経営の知識を身に着けたい。経営学部に行こうと専攻は決めていた。条件が合い、タイミングよく受験できそうな大学が1校あった。それが近畿大学だった。受験科目は英語と日本語。一発勝負だったが、晴れて合格した。

  2011年4月に大学入学。そして、2014年4月に大学院に進学した。ん?計算があわない?飛び級だろうか。

  「3年終了までにゼミ以外の単位を取得して、あとは科目の平均が80点以上だったかな、そういう条件を満たしていれば、5年で学部と修士を修了できると知って、そのほうがいいと思ったんです」

  周さんは事もなげに淡々と話すのだが、そうそうできることでないことは読者の皆さんもお分かりはず。大学受験といい、学位取得といい、彼女は「最短」コースをその都度選択しながら進んでいる。

アルバイトでもステップアップ、そして就活


写真を拡大休日にはバイト先の同僚と一緒に食事をしたりもする。

  見習いたくなるほど無駄な時間がない。だから、フットワークも軽い。名古屋時代のアルバイトも来日してすぐに見つけている。これまでコンビニエンスストアやインテリア関連の量販店、業務スーパーなどでも働いたが、本命はアパレル。理由は、「お洋服が好きだから」。

  「アパレル(業界)で最初に働いたのは、20~60代と年齢層の幅広いB級品を扱った名古屋のお店でした。研修を2週間受けて、3か月間働きました。大阪に来てからはレディースのかばん屋さんでも働きましたし、10代から20代前半の女の子がターゲットというお店でもアルバイトしました。この時はつらかったですよ~。10センチのヒールをはいての立ち仕事ですから」

  10センチ!それはつらい。華やかに見えて、商品の棚卸などもあり、体力のいる仕事だ。

  周さんが働いていたというお店を先日、のぞいてみた。再開発が進み、大阪有数の商業施設が集まる街のショッピングモール内にある。モールの中は人いきれがするほど。当のショップもトレンドの商品がお手頃な価格でそろえられるとあって、客は引きも切らない。販売員の女性たちは忙しそうに立ち働いていた。

写真を拡大写真は、京都の北野天満宮。好きな関西弁は、「なんでやねん」「すきやねん」「しゃーないね」。

  彼女の、実にアッパレなところは、働く店の「格」というと大げさだが、商品価格帯が少しずつあがっているところ。そして、責任も重くなっている。

  「ヒール10センチ」店よりも価格帯がぐっと高くなった百貨店ブランド店では、働き始めてほどなくして店長に昇格している。接客や商品管理のほかに、従業員管理も加わった。この時は、日本人スタッフ5人をとりまとめた。残念ながら就活に専念するため長くは続けられなかったが、「スタッフのモチベーションをどうあげるか」など今までとはステージの違う課題に向き合う経験を積んだ。

  店長に抜擢されるには、経験年数もさることながら、売上成績がよくなければあり得ない。接客のコツは何だろう。

  少し考えて、周さんはきっぱりと口にした。

  「お客さんに対して、ウソをつかないことです」

  ウソをつかないとは?

  「『よくお似合いですよ~』とか、(販売員は)言うでしょう。でも、適当に言っていることって多いです。私も、洋服を買いに行って、自分には合わないなと思うのに、『似合ってます』と言われたことが何回もあって、いやだなと思いました。だから、私はウソをつきたくない。そのかわりに、『こちらはどうですか』と、別のテイストのものを提案します。お客さんは何らかの悩みを持っていますから、その悩みを解決してあげることが販売員の仕事だと思っています。お客さんをよく見て、薦めています」

  外国人であることがハンデになることは?

  「私のイントネーションで、『日本人じゃないんですか』と聞かれることがたまにあって、それはちょっと残念です。どこの国の人とかは関係ないと思うから」

  でも、よくよく聞けば、そういった客はごくまれ。それだけ、周さんの接客は違和感なく受け止められているということ。洋服が好きだから、お客さんにも本当に似合うものを見つけてほしい…。彼女の思いは客に伝わっているはずだ。

写真を拡大就活はターゲットをしぼり、2か月弱で内定を得た。いつも目標は明確だ。

  就職内定先は、20、30代の女性たちに人気のブランドを多数抱える東京のアパレルメーカー。アパレル関係のメーカー、小売、商社の5、6社に絞り、2015年5月末から就活をスタート、7月に内定を得た。内定先の企業では初めての外国人採用だというが、周さん本人に気負いは感じられない。

  とんとん拍子に来ているように見えるが、すべてが順風だったわけではないだろう。でも、目標に向かってまっすぐ取り組んできたから、今がある。働き出せば、学生の頃とは異なる壁にぶつかることもあるだろう。でもきっと、周さんなら前へ進んでいける。これまでひとつひとつ階段をのぼってきたように。社会にもまれて、もっともっと大きくなれ。

  【取材を終えて】
  アパレル企業に内定していると聞いて、オシャレで元気な女子大生を想像していたのですが、なかなかどうして。「中国だったら20代で社長になるでしょうけど、日本ではとても無理でしょう。早くて30代半ば」「中国の販売員は、客を上から下まで値踏みしてから接客することが多いけれど、日本は違う」など、周囲をしっかりと見ながら、力を蓄えようといている女性でした。日本のお母さんから教わった「気遣い」をいつまでも忘れず、念願のアパレル業界でキャリアを積んでいってほしいと思います。

(取材・文:須藤みか 取材日:2015年11月26日)

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