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卒業生インタビュー

インタビュー 心連心プログラム修了生の「日中交流の担い手」として成長した様子を取材します。

Vol.031 王 天一さん

写真を拡大王天一さんの通う早稲田大学大学院文学研究科のある「戸山キャンパス」正門で

名前
王 天一おう      てんいつ さん

プロフィール
  1990年、吉林省出身。中高一貫の有名校、長春外国語学校に入学し、日本語コースで学ぶ。高校2年の2007年9月から約1年、「心連心:中国高校生長期招へい事業」の第2期生として日本に留学。帰国して高校を卒業後、上海理工大学日本語学科に進学、2013年6月に卒業。2014年4月、早稲田大学大学院の文学研究科日本語日本文学コース修士課程に進学。2年生の現在(2015年5月)、学業に、アルバイトにと多忙な日々を過ごしている。

天下のみんなが平等


写真を拡大スター・ウォーズのTシャツにメッシュ・ハットがよくお似合いの王さん

  王天一さんとは、彼女が在学している早稲田大学大学院の文学研究科のある「戸山キャンパス」(東京都新宿区)でお会いした。同大学本部のある「早稲田キャンパス」の隣に置かれた、静かで落ち着いた雰囲気の一角だ。

  そばのカフェで早速、気になる質問を投げかけた。「天一さんって、すごいお名前ですね!」。天下第一の人物という意味だろうか? 「いいえ違うんです。よく聞かれるんですが……」と王さんははにかんだ笑顔を見せた。

  「次女だったので、生まれた時に『天乙』(ティエンイー)という名前を母が付けてくれました。天から授かった2番目の娘という意味です。4歳のころ、体調を崩した母の主治医が、より幸せになるようにと発音の似ている『天一』(ティエンイー)という名前を薦めてくださって……。天下第一の人物という意味ではなく、天下のみんなが第一であり、平等である、という意味です。私も家族もこの名前を気に入っています」

写真を拡大「みんなが平等という意味の、天一という名前を気に入っています」

  若者らしく、スター・ウォーズのTシャツにメッシュ・ハットといったラフなスタイルがよくお似合いの王さん。日本との最初の関わりは、中学入試にさかのぼるという。ふるさと吉林省の省都・長春市にある中高一貫の有名校、長春外国語学校だ。

  英語コースを志望したが、僅かの点差でかなわなかった。そこで「英語なら独学することができるし、2カ国語が学べるのはいいな」と思い直し、日本語コースをすぐに選んだ。

  日本への印象を深めたのは、中学を卒業した15歳の夏休みに、姉と2人で初めて日本旅行をしたことだった。5日間で東京、箱根、神戸などをめぐる駆け足の旅行だったが、神戸では中国の革命家・孫文と日本との関わりを伝える「孫文記念館」を訪れ、近代の日中交流史にも触れた。

  「それまで日本語を学んでいましたが、教科書中心の勉強だったせいか、日本に対する具体的なイメージはあまりなかった。同級生に人気の日本アニメにも、そんなにのめり込まなかった。でも日本に来て驚いたのは、サービスの良さ。そして食べ物がおいしくて、どの街も清潔で、トイレがきれいだったこと。当時、建設工事の多かった長春では1日歩くと靴が汚れるのに、日本では白い靴を履いていてもきれいだったんです」

日本との度重なる縁


写真を拡大将来の夢は、藤沢周平作品を翻訳すること。大学院そばのカフェで

  日本への関心を深めた王さんは、高校2年の時に日本留学のチャンスを得る。「心連心:中国高校生長期招へい事業」の第2期生の募集を知ったのだ。

  当初は家族に反対され、とくに母親には「進学を控えた大事な時期だし、勉強が遅れるから」と心配されたが、「どうしても日本へ行きたい!せっかくのチャンスを活かしたい!」と泣きながら訴え、ありったけの思いを手紙につづって母親に手渡した。

  そうした王さんの真剣な姿に、家族もようやく理解してくれた。そして校内と全国の難関を突破して見事、第2期生の1人として選ばれたのだ。

写真を拡大戸山キャンパスにある図書館の前で(王天一さん提供)

  2007年秋、「心連心」第二期生として日本へ。当初は山口県の私立高校に留学したが、たまたま中国人留学生の多い寮住まいとなり、肝心の日本語の勉強にならないと考えた。その5カ月後、ホストファミリーの家で暮らしたいという希望がかない、鹿児島県の私立学校、鳳凰高等学校に転校した。

  「学校と、神野さんというホストファミリーには、とても親切にしていただいた」と感嘆する通り、厚いサポートを受けて高校では同時に4つの部活(美術、英会話、茶道、マジック)に入ってさまざまな日本文化を体験した。

  4人家族のホストファミリーには地元の名所である桜島、霧島に案内されたほか、ファミリーとともに「小富士」といわれる、富士山のように美しい山容の「開聞岳」(924m)に1日がかりで登ったのもいい思い出だ。

  また、ホストマザーは作家・東野圭吾の大ファンで、自宅の本棚には作品がたくさん並んでいた。「そのおかげで私は東野圭吾という作家のことを、中国で大ブレイクする前に知っていたんですよ(笑)」と胸を張る。

  こうして留学中にいろいろな体験を重ね、見聞を広めたが、「もちろん勉強もちゃんとしました」。日本史、世界史、国語といった科目は「言葉の壁」もあり苦手だったが、7月の期末テストで数学は学年トップクラスという好成績を収めた。優秀な外国人留学生の存在は、日本の高校生にもいい刺激を与えたことだろう。

  貴重な1年を振り返り、王さんはこう語る。

  「ホストファミリーの家では積極的に皿洗いをしたり、中国の家庭料理をふるまったりして、家族同様に暮らしました。今でもわがままなところはありますが、あの1年で周りの人のことをより考えるようになった。親元を離れて、ずいぶん成長したと思う」

  王さんにとって、大きな飛躍を遂げた1年となったようだ。

「藤沢周平の作品を翻訳したい」


  帰国して高校を卒業後、2009年9月に上海市にある上海理工大学に進学した。前身の滬江大学から100年余りの歴史を誇る重点大学で、「日本語学科があるから」と迷わず選んだ。

写真を拡大文学研究科日本語日本文学コース・近代文学専攻の2015年新入生歓迎会で。王さんは前列右から2番目(王天一さん提供)

  大学在学中も、何度か訪日するチャンスに恵まれた。

  同大学のプロジェクトの一環で、2012年8月には岡山大学(本部・岡山市)に2週間の短期留学をしたほか、キッコーマン株式会社が上海の5大学に向けて実施したエッセイコンテストで優勝し、同年10月には日本招待の特典を受けた。2013年には上海理工大学と「海外協定校」として提携する中央大学(本部・東京都)で、半年間の交換留学を経験。日本とのつながりが、ますます深まっていった。

  大学では日本語を専攻していたが、日本人教師から上級者向けの「講読」授業を受けたことで、日本文学を初めて学んだ。

  もともと文学には興味があった。父は感染症の研究者だが、母は元新聞記者、姉は作家・編集者で、王さんも小さいころから文学の薫陶を受けて「作文が得意だった」と振り返る。

  講読の授業で出合ったのが、時代小説で知られる藤沢周平(1927-1997)の作品だ。とくに『橋ものがたり』に魅せられた。萬年橋や両国橋、永代橋といった江戸の橋を舞台に、男女の出会いや別れなど、市井の人々の喜怒哀楽をみずみずしく描いた連作短編集である。

写真を拡大弓道体験

  「舞台は江戸時代の封建社会ですが、現代日本語で表現されているのでわかりやすい。それに藤沢作品には、身分の違いや庶民の情など、人生の哀歓が描かれていて共感しました」

  当時、中国語に翻訳されていた藤沢作品は、映画にもなった『たそがれ清兵衛』しかなく、「もっと作品を翻訳して中国に紹介したい」という思いが募った。

  そのためには、さらに専門的な勉強を深めなければならない。

  『藤沢周平という生き方』『藤沢周平の言葉』などの著書のある藤沢文学研究の第一人者、高橋敏夫教授が、早稲田大学大学院で教えていた。そこで「高橋先生に教えを請いたい。早稲田の大学院をめざそう」と2013年6月に上海理工大学を卒業後、9月の筆記・面接試験に向けて3カ月間、猛勉強した。

  「もともと日本語学科でしたから、文学の専門知識はあまりなかった。それで日本文学史などの基礎を必死でたたき込みました。筆記試験の合格後、面接試験では高橋先生に『藤沢周平をやりたい!』と、藤沢周平の名を連呼して猛烈にアピールしました。今思えば、その時の熱意が伝わり、合格できたのかもしれません(笑)」

  こうして王さんは2014年4月、念願だった早稲田大学大学院文学研究科日本語日本文学コースの修士課程に進学した。

文学の大海に足を踏み入れて


  大学院では、近現代日本文学である島崎藤村の『夜明け前』、安部公房の短編『デンドロカカリヤ』などを読んだ。昨年は明治時代の小説家、川上眉山とオーストリアの作家、シュテファン・ツヴァイクの小説を比較した論文を書き、「東洋と西洋の比較文学」にも関心を深めたという。

写真を拡大高校時代のクラスメートとの記念写真

  近代日本文学には、西洋の自然主義文学の影響を受けたという「私小説」と呼ばれるジャンルがあることも知った。作者自身が自らの生活体験や心境をリアルにつづる日本特有の文学形式の1つで、中国にはこうしたジャンルがないことにも興味を覚えた。

  修士論文のテーマは「藤沢周平の作品における武家物」と決めている。武家物とは「武家生活に題材を取ったもの」であり、藤沢周平の膨大な作品群から、武家物について分析・研究を進める予定だ。

  「藤沢作品は“大衆小説”であるがゆえに研究するのが難しい。三島由紀夫などの純文学に比べれば、先行研究もまだまだ少ない。8万字(400字詰め原稿用紙で200枚)の修士論文を書くために、26巻からなる全集をすべて読んで分析しなければならないのです」

  「大変なこと……」と嘆息しつつも、王さんはどこかうれしそうに目を輝かす。

  それもそのはずで、大好きな文学の世界に足を踏み入れたことが、今は楽しくてならないようだ。

  「文学とは、海のようなものだと思う。研究するには社会、経済、歴史、哲学……何でもわからなければなりません。でも文学が好きですから、学ぶ苦しさの中にも楽しさがある。いろいろと学べることは、文学研究のメリットだと思う。私は今、文学という海の波打ち際に、ようやく足を踏み入れたところかもしれません」

  謙虚に語るが、その目標は明確だ。

  「日本をもっと知りたい」と都内で一人暮らしをしているが、奨学金は受けていない。実家からの仕送りもあるが、週3日大学院に通う以外のほとんどは、銀座の大手デパートのブランドショップでアルバイトに励んでいる。

  「遊んでいる時間は、残念ながらありません。もちろん彼氏もいませんよ(笑)」

  それでも王さんは今、かけがえのない充実した日々を送っている。

写真を拡大チャイナドレス姿のホストファミリーの妹と王さん

  将来の夢は、藤沢作品を中国語訳すること。だが、翻訳業一本で身を立てるのは中国でもなかなか厳しい。

  「ですから翻訳の仕事はあくまでも夢でしょうか。現実的にはまず日本のマスコミか広告会社に就職し、その中で日中交流に携わる仕事ができたら」。チャンスがあれば博士課程に進学し、文学研究を深めたいという思いもある。

  将来の方向性をハッキリ決めたわけではないが、「思えば日本語学科に進んだことも、日本に留学したことも、想定外のことでした。運が良かったのでしょうか。これからもどうなるかはわからないけど、チャンスをつかんで前進したい」。

  王天一さんは、その名前からさらに読み取れるように「天下で唯一」の豊かな人生を歩んでいる。

(取材・文:二井康雄、小林さゆり 取材日:2015年5月24日)

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