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卒業生インタビュー

インタビュー 心連心プログラム修了生の「日中交流の担い手」として成長した様子を取材します。

Vol.023 林 曉慧さん

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名前
林 曉慧りん ぎょうけい さん

プロフィール
  1991年遼寧省瀋陽市出身。2003年に東北育才学校中学部の日本語専攻クラスに入学し、高校部2年時に「心連心」プログラムの第二期生(07年9月~08年7月)として愛媛県立松山南高等学校(愛媛県松山市)に留学。09年、米ニューヨーク大学に進学しメディア・文化・コミュニケーション学を専攻。13年に卒業後は芸術家のアトリエやウェブマガジン編集部、ギャラリーでインターンを経験し、14年6月より独立行政法人国際交流基金北京日本文化センターに勤務。

芸術を通じた非営利活動をライフワークに


  「森万里子さんの超感覚的な立体作品は大好きですね。モノクロームの構成美が光る杉本博司さん、山川草木の陰影が素晴らしい山本昌男さんなどの写真家からも大きな影響を受けました。日本語と英語の融合したヴォーカルが独創的な音楽ユニットのラブ サイケデリコも……」――好きな日本人芸術家の名を問うと、林さんは即座に何人もの名前をよどみなく挙げ、その深い知識に驚かされる。大学時代に芸術と社会の関わりについて学んだ彼女は今、芸術を通じた社会貢献に深い関心があるという。

  「自らアーティストとして作品を発表していくのではなく、芸術と芸術家が社会と接点を持つための手助けとなるような存在になりたいのです。芸術も今は投機対象で巨額のマネーが動く世界ですが、私は営利ではなく、芸術を通して社会に貢献していける非営利活動を人生のフィールドにしたい。文化的なイベントが盛んな国際交流基金に就職できたことは、その可能性を具現化していく素晴らしいチャンスだと思っています」

写真を拡大国際交流基金北京日本文化センターでは年間を通し、和文化体験教室やドキュメンタリーフィルム上映会、コンサートなど様々なイベントを主催している。林さんはビジュアルアート担当として、早くも多忙な日々を送る。

  林さんの経歴は「心連心」プログラム修了生の中でも異色だ。中学・高校で日本語を専攻し、日本留学も経験するが、同級生たちと異なり大学進学先はあえて米国のニューヨーク大学を選択した。

  「私は日本語専攻のクラスに所属していたので、約40名の同級生たちはほぼ全員、日本の大学への進学準備をしていました。私は、国境を超えた文化『トランスカルチュラル・コミュニケーション』を学びたいと思っていたのですが、日本の大学には1年時からこれらを立体的に学べるプログラムがなく、最終的に芸術、メディア、文化、経済を総合的に学べるニューヨーク大学を選択しました。結果的に4年間の米国生活を通じてライフワークとなる分野を見出し、より客観的に日本を見つめられるようになったように思います」。

写真を拡大ニューヨーク大学の卒業式は毎夏、ヤンキースタジアムを借り切って行われ、スタンドはスクールカラーの紫で染まる。

  将来、芸術家になりたいと考える高校生は少なくない。だが林さんが、若くして「芸術と社会の関わり」に傾倒するようになったきっかけは、どこにあるのだろうか。

  「やはり心連心プログラムで日本留学を経験したことが原点になっているのではないでしょうか。初めて親元を離れ外国で生活をすることになり、環境に慣れるまではゆっくり時間をかけて周囲を観察するようになりました。今の日本で『空気を読む』というのは同調圧力というネガティブなイメージで使われますが、私は空気を読むことで相手の立場や考えを思いやり、同時に日本特有の『曖昧な美』も感じられるようになったのです。黒と白がハッキリした感情や表現ではなく、哀しみの中に込められた喜び、といった微妙なニュアンスの精神は、日本で多くの芸術作品のテーマとなっているでしょう?この曖昧さは日本人の考え方にも通じるのではないでしょうか」

  ニューヨーク大学在学中は4カ月間、イタリアのフィレンツェにあるキャンパスで学び、林さんは前出の山本昌男氏から写真を学ぶ機会を得た。山本氏の作品を形作る緻密な構成美と静謐さに、震えるほどの感動を受けたという。

日本女子特有の仲間意識に戸惑い


  林さんは、外資系企業の投資を促す遼寧省政府系機関に親が勤務していた関係で、一般家庭よりも外国語や外国文化全般が身近な環境で育った。ただ、成長過程で特に「日本」や「日本語」を意識したわけではなく、13歳で遼寧省随一の名門校・東北育才学校に進学した際も、「とにかく外国語を学びたい!」と希望し日本語専攻クラスに配属されたという。

  「授業や試験を通して日本語への理解は深まってゆきましたが、心連心プログラムで高校時代に日本留学できたことは、私の自我の形成と、日本への特別な思いを決定づけましたね。それまで周囲に守られ、特に深く思索するような必要もなく生活して来た私ですが、『空気を読む』ことで人間や物事をじっくり観察する習慣が身に付き、その過程で多くの発見を得たように思います」。

  それでも、日本独特の人間関係や仲間意識には慣れるまで戸惑いもあったのではないだろうか。

  「私の留学した松山南高等学校は、のんびりした土地柄もあり、素朴で優しい生徒ばかりでした。でも、女子生徒が必ず仲良し小グループを作り、常にグループで行動するのは異様に感じましたね。唯一の外国人転入生として良くも悪くも目立っていた私は幸い、仲間外れにされることなく、食事時も『こっちに来なよ』と誘ってもらえましたが、Aグループに入るとBグループの友達にカドが立つので、どのグループと行動を共にすべきかよく迷ったものです。」

写真を拡大松山南高等学校に留学中、屋上でクラスメートと記念撮影

  中国の学校では、食事も大勢で一緒にワイワイ楽しむのが基本だ。林さんは時に、女子のグループに息苦しさを感じ、男子生徒と一緒にバスケットボールを楽しんだという。

  「日本の男子はとにかく優しくて純粋!外国人の友だちは中国の男子も優しいと言いますが、中国の学校ではクラス替えをしませんし、何でも一緒に大勢で行動することが多い。男子生徒は異性というより仲の良い兄弟のような存在なのです。日本の高校のほうが、いい意味で男女を意識し合える環境かもしれません」。

  林さんは1年間の留学期間中に、一生ものの親友も得ることが出来た。

  「モモちゃん、と呼ぶ桃子さんは私より5歳年上。松山南高等学校の定時制に通う生徒でした。私は普通科でしたが、美術部のクラブ活動を通して知り合い、すぐに仲良くなったのです。モモちゃんは私の日本語にじっと耳を傾けてくれる聞き上手で、卒業後は工業デザイナーとして活躍しています。昨年、わざわざニューヨークへ遊びに来てくれたのもすごくうれしかったですね」。

写真を拡大大の親友・桃子さんと

写真を拡大ホストファミリーに振り袖を借り、写真館で記念撮影

モダンアートの最前線で修行


  松山での1年間で芽生えた林さんの芸術への興味や人間観察力、繊細な感受性は、ニューヨーク大学で大きく花開く。

  「松山のホストファミリーのお母さんに教えていただいた日本の家庭料理は、ニューヨークで頻繁に作りました。お好み焼やすき焼きなどは今でも私の手料理の定番メニューです。とはいえニューヨーク大学は日常の全てが英語で行われますし、私の専攻内容もグローバルな内容。日本からやや遠ざかっていたのは事実です。でも『ジャパン・インターナショナル』というサークルに所属し、日本のポップカルチャーや料理紹介、東日本大震災の復興支援チャリティーイベントなどに関わりました。南アフリカのブルーマウンテンで開催された学生会議にニューヨーク大学代表と参加したときには、国際基督教大学の参加者たちと親しくなったことも。人種のるつぼともいえるほど多彩な国籍の学生が集まる大学生活を通じても、日本との縁を感じましたね」。

写真を拡大南アフリカで開催された国際学生会議に参加した林さんは、東京からやって来た国際基督教大学の代表たちと意気投合

  ニューヨーク大学では金融コミュニケーションや公共政策、中国メディア考察など多彩な角度から文化のグローバリズムについて学んだ林さんだが、13年6月に卒業したものの進路ははっきり定まらなかったという。

  「芸術に関わる方面で仕事をしたい!という思いは明確だったのですが、美術館の学芸員は競争率が高く、芸術学部や美術史専攻でないと就職は難しいことが分かりました。卒業後はニューヨークのアートスタジオが主宰するオンラインアートマガジン『Dream The End』で編集を任され、知られざる日本現代美術を紹介する三部作の特集ページを制作しました。2カ月間みっちり、日本のアートについて学ぶことができ、大学の授業とはまた違った収穫でした。そのあとは岩、土、木、鉄などの自然素材を使って砂漠や平原に作品を構築するランドアートの芸術家のアトリエや、北京市内の英国系ギャラリーでインターンをしましたが、お金第一の商業主義に幻滅してしまって……」。

  だが、14年6月から国際交流基金北京日本文化センターに就職したことで、「非営利で文化・芸術に携わり社会貢献する」という長年の思いが結実した。国際交流基金は総合的な文化交流を行う日本唯一の政府系専門機関で、東京本部のほか世界に21ヶ国22の拠点を設けている。

写真を拡大国際交流基金北京日本文化センターに併設された図書館は、約1万5,000冊の日本書籍と約3,000冊の英・中書籍を網羅し、北京在住者は誰でも無料で閲覧できる。貴重な大型美術本も豊富にそろう。

  「基金に入って早々、奄美大島出身のヴォーカリスト、中孝介さんの基金主催公演を準備する機会に恵まれました。中さんは08年公開の台湾映画『海角七號』に出演し、中華圏では『島唄王子』と呼ばれ絶大な人気を誇っています。中国の若者の間では今、THE BOOMや夏川りみさん、中さんなどの島唄が静かに流行しており、公演会場の熱気からも芸術には国境を超える力があると実感できた貴重な体験でした。職場ではまだ新米なので、まずは基金の業務全般を把握し、ゆくゆくはワークショップ、フィルムフェスティバルなどのイベントも増やしていければと思っています」

7年ぶりに松山へ“里帰り”


  林さんは今年2月、心連心プログラムで留学して以来、7年ぶりに日本を訪れ、松山も再訪した。ホストファミリーの家に3泊し、7年前に乗った自転車が今も同じように使われていることに胸が熱くなったという。

  「ニューヨーク大学時代は学校の活動や旅行で、米国とイタリアを起点にフランス、デンマーク、ドイツ、スイス、スウェーデン、チェコ、オランダ、ベルギー、南アフリカ、アルゼンチン……など様々な国を旅しました。私にとっての旅は未知の場所を訪ねる行為でしたが、この日本再訪で初めて、故郷に帰る、家に戻るというような懐かしさと素晴らしさを知りました。かつて下宿した同じ部屋に泊まり、居酒屋で同級生たちと再会したその瞬間から高校時代に戻れるのは素敵なことですね」。

写真を拡大今年2月に松山を再訪し、かつての同級生たちと再会した林さん。居酒屋での会食やボーリングを楽しみ、7年前を懐かしんだ。

  心連心プログラムで日本留学中に林さんは、「将来、芸術に携わる仕事をしたい」「米国で見聞を広めたい」という2つの目標を掲げた。どちらも実現することができ、その成功体験は今の自信にもつながっていると話す。

  「高校生の多感な時期に松山で1年間生活し、芸術への興味や人間観察力、繊細な感受性を培えたからこそ、将来、どのような方向へ進んでいくべきなのか道筋をつけることができました。夢の実現にはまず、自分をよく知ること。そして目標を定めたら集中して取り組むことが重要だと思います」。

  将来的には、依然として欧米中心の価値観が主流となっている現代芸術の世界で、中国や日本などアジアの地位を高めていきたいという壮大な目標を抱いているという。

  【取材を終えて】
  日本人よりも日本の現代芸術に造詣が深い林さんだが、今後、積極的に紹介していきたい中国人芸術家として、火薬を用いた絵画制作などが名高い蔡国强、漢字や国画(水墨画)のインスタレーションで知られる徐氷と谷文達、自身の身体を使ったパフォーマンス・アートの張洹を挙げた。林さんは、「4人とも作品が欧米で高い評価を得ているほか、中国から海外に出て、新たな環境で自分のルーツやアイデンティティを確立した点が共通しています。この点は日本や米国での生活を通して己を知った私自身の歩みにも重なる気がするのです」と語る。芸術を媒介に、社会と関わっていく林さんの取り組みは、新たなフィールドを得てますます活発化することだろう。【取材、文:田中 淳(NNA) 取材日:2014年8月6日】

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