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卒業生インタビュー

インタビュー 心連心プログラム修了生の「日中交流の担い手」として成長した様子を取材します。

Vol.021 劉 嘉敏さん

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名前
劉 嘉敏りゅう かびん さん

プロフィール
  1992年生まれ、大連市出身。高校2年のとき、「心連心」プログラムで富山県高岡市の伏木高等学校に留学(2008年9月〜2009年7月)。中国にて高校卒業後、京都の語学学校で受験準備期間を経て、富山大学に入学。2014年4月には金沢大学自然システム学類生物学コースに編入。アニメ「名探偵コナン」は、中学生の時見て以来、今も欠かさず公開映画をチェックするほどの大ファン。

3年生で編入、大学生活の再スタート


  『心連心』プログラムでの高校留学を終え帰国後、
  いったんは中国の大学を受験し、合格した劉さん。
  しかしすぐに、日本で大学受験をやり直す決意に至ります。
  その後、富山大学に合格し、
  3年目の今年、石川県の金沢大学に編入。
  その真意を伺うべく取材をしたのは、
  劉さんが金沢へ来て間もない5月のことでした。


  ――金沢での生活は慣れましたか。

  はい。富山県の大学に通っていたので、
  隣の石川県には何回か来たことがありました。


  ――今日はここ(取材場所の金沢駅)までどうやって?

  自転車で来ました。
  自宅からだと20分くらいで来られます。
  地元の大連では自転車に乗ることはなかったのですが、
  金沢市は地下鉄がないので、普段の移動はバスか自転車です。


  ――大連の高校を卒業後、日本に来て4年目ですね。

  そうです。


  ――当時、中国の大学に合格していながら、日本で受験し直すのは、
    とても勇気がいる決断だったと思います。

  私ほんとうは、『心連心』の高校留学直後ですら、
  日本に行きたいという考えはなかったんですよ。


  ――そうなんですか。

  中学生の頃からずっと日本語を勉強していたので、
  日本語の翻訳者になるという目標はありましたよ。
  でも、故郷から離れることに興味がなかった。
  日本語は地元で勉強すればいいと思っていました。


  ――いつ考えが変わったんですか。

  地元の大学に合格した後すぐ、です。
  進路が決まったとたん、中国で日本語だけを勉強するより、
  日本語を使いながら、他に自分が好きなことを
  もっと勉強してみたくなったんです。
  昔から生物の授業が一番好きだったので、
  生物学を学ぼうと決めました。


  ――『心連心』の留学先だった、富山県の大学を受験したんですね。

写真を拡大生物学コースの歓迎会。クラスメイトとの距離が縮まったひととき

  はい。
  京都市内の日本語学校で1年間学んだ後、
  富山大学の工学部生命工学科に入学しました。


同じ境遇の仲間に支えられながら


  ――3年目の今年、編入を決めたのは?

写真を拡大生物学コース専門の教科書はたった1冊。この本と格闘する日々が続く

  生物学で、より上を目指したかったから。
  自分が成長できる環境が、ここにあると感じたので。
  専門科目の講義を英語で行う先生もいらっしゃって、
  英語を勉強しなおす良い機会にもなっています。


  ――現在、平日は朝から夕方まで全部授業が入っているとか。

  そうなんですよ。


  ――3年生でもそんなにたくさんの授業を?

  富山大学での取得単位がこっちで認定されるかどうか、
  今のところまだわからなくて…。


  ――えっ。

  もうすぐ認定結果がわかるのですが、
  万が一認定されなかった時のために、
  金沢大学の1年から3年までの必修科目を全部受けています。
  提出物が多くて、普段は授業以外の時間も、
  レポートを書いていることが多いです。
  もうすぐ提出締切のレポートが6つもあるんですよ。


  ――新しい環境に慣れるだけでも大変なのに…

写真を拡大金沢大学の編入生が集う「編入会」。その花見会場は、日本3大庭園の兼六園!

  日本語の問題はほとんどありませんが、
  それでも今は授業についていくだけで精一杯ですね。
  生物学コースに在籍する留学生は私だけで、
  編入生のクラスメイトが3人います。
  皆私と同じ状況で頑張っているので、心強いです。


受け身の自分を変えた高校留学


  ――日本での再受験、そして編入。

  自力で将来を切り開こうという意欲を感じます。
  でも私、昔は自分では何も決められない、
  常に受け身の人間だったんですよ。


  ――えっ。

  私は小さい頃から姉が大好きで、いつもべったりでした。
  何かあれば、真っ先に姉に相談して決めてもらっていたから、
  私は物事を自分で決めることが好きではなかったし、
  実際まったくしていませんでしたね。
  自分の服ですら、姉の言うとおりに買っていましたから(笑)。


  ――今の劉さんからは想像がつきませんね。

写真を拡大『心連心』で富山県に留学したときの一枚。クラスメイトと一緒に

  『心連心』で留学生活をはじめたときも、
  日本語ができないつらさより、
  家族に会えないつらさの方が大きかった。
  最初の1ヶ月はひどいホームシックにかかってしまって。
  ひとりになると、故郷や家族を思い出して泣いていました。


  ――劉さんはホームステイをしていたんですか。

  はい。3組のホストファミリーにお世話になりました。
  留学して最初のホームステイ先での話ですが、
  その家にはインターネットがなかった。
  でも、あまりにさみしがる私を家族が見かねて、
  パソコンを持っているお兄さんの家に連れて行ってくれて。
  QQで姉とおしゃべりできたときは嬉しかった。
  私は姉と話すために、その後何回もお兄さんの家へお邪魔しました。


  ――ホストファミリーの皆さんはさぞ心配したでしょう。

写真を拡大ホストファミリーのお父さんお母さんが大連へ!両親、姉とともに歓迎した。

  今思うとはずかしいです。
  どの家族も温かくて、とてもよくしてもらったと思います。
  年が近い女の子とは、今でもFacebookで連絡をとりあっています。
  大学進学で日本に戻ってきてからは、
  お家に遊びにいったこともありますよ。


  ――なぜ、受け身の自分を変えられたんでしょう。

  高校に留学して1ヶ月後、バトミントンクラブに入部し、
  やるべきことが徐々に増えていったんですね。
  そしたら、自分で決めるしかない状況が多くなってしまって。
  はじめは嫌々でしたが、いつの間にか当たり前のように
  自分で物事を判断するようになっていました。


  ――なるほど。

  今の自分がいるのは、あの経験があったから。
  『心連心』から帰ってきた私を見て
  家族がその変化に気づいたくらい成長していました。
  高校卒業後、進学という大きな決断を迫られたとき、
  ギリギリで自分のやりたいことを見極められたのも、
  高校留学での経験があったからこそかもしれません。


  ――今後についてはどう考えていますか。

  将来、がんの研究者になって人の体に関わる仕事がしたい。
  私が編入した理由のひとつでもあるのですが、
  金沢大学には、がん研究センターがあるんです。
  卒業後も、引き続き金沢大学の大学院への進学を考えています。


  ――日本で勉強を続けるんですね。

  今のところ、その予定です。
  まずは夏休みを乗り切らなくては。
  ほぼ毎日、授業の実習で予定がうまっています!


  ――多忙な日々が、まだまだ続きますね。


  【取材後記】
  「高校留学時代は、卓球や書道が下手なうえ、自転車にも乗れなかった。クラスメイトが持つ中国人像を次々と覆していったんですよ」と笑う劉さん。今は留学生という垣根を超え、仲間とともに生物の勉強に励んでいます。広いキャンパスに生息するタンポポの種類をひたすら数える調査など、地道な作業も何のその。劉さんの輝く大きな瞳からは、溢れ出る熱いものを感じました。

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