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卒業生インタビュー

インタビュー 心連心プログラム修了生の「日中交流の担い手」として成長した様子を取材します。

Vol.016 劉 思妤さん

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名前
劉 思妤りゅう しよ さん

プロフィール
  1993年、吉林省長春市にて生まれる。心連心プログラムの4期生として、09年から富山県高岡市にある富山県立伏木高等学校に留学。11年に上海財経大学、外国語学部ビジネス日本語学科に入学。現在は、学業のかたわら香港系の恒生銀行でインターンシップの経験を積んでいる。

日本留学の先輩として、済南のイベントに参加


  劉さんは昨年11月23日、国際交流基金と山東師範大学の協力により山東省済南市にオープンした「済南ふれあいの場」の記念イベントに参加した。「ふれあいの場」は日本の最新情報や日本人と接する機会が少ない中国の地方都市で青少年層を主な対象に対日理解と交流を促進するために現在中国国内12カ所に設置されている施設。「済南ふれあいの場」は山東師範大学の図書館内に設置され、劉さんは記念式典当日、日本からの交換留学生や、中国の大学生ボランティア達と一緒に、イベントの準備、学生モデルによるコスプレファッションショー、日本にちなんだクイズ大会の運営などを行った。

  彼女は初参加ながら、日本への留学を経験した先輩として、大事な役割を任される。当日は100人を超す学生や日本語関係者を前にパワーポイントを使って日本を紹介。10分という短い時間に、日本で留学生活を始める心得を実体験をもとに詰め込んだ。「日本の一般家庭の食事」では、スクリーンに写し出される美味しそうなから揚げや卵焼きが、学生たちの興味をそそった。

  イベントを通じて済南の学生たちが日本文化に触れることで見せた素直な喜びに、劉さんは大変刺激を受けたという。きっとそれは学生たちの姿がかつての自分と重なって見え、そこに自分の原点を再度見出だしたからなのだろう。そして改めてこれまで自分が恵まれた環境で日本語を勉強できたこと、それを支えてくれた人たちへの感謝の思いが深まった。

  そんな彼女の日本との出会いは中学時代までさかのぼる。

長春から日本へ


  2005年、劉さんは地元の有名校として名高い長春外国語学校に入学。故周恩来首相の時代に設立された全国7校の外国語学校のうちの1校だ。日本語は中学校進学時に選択、「これからは英語はもちろんのこと、もう1つ言語を習得しなければだめだ」という祖父の教えのもと、一生懸命勉強に励んだ。

写真を拡大高岡市のホストファミリーでは週末になると一家勢ぞろい。多い時には10人も集まるというほど賑やかな家庭で、楽しく食卓を囲んだ。

  その後、高校在籍時の09年9月から10年8月まで富山県高岡市にある富山県立伏木高等学校に留学。「最初は遠く離れた気がして心細かった」と当時を振り返る劉さん。その環境も今の彼女を育てた、大きな要因の一つとなっただろう。

  ホストファミリーの家で迎えた初めての夜、食卓に並んだのは日本海でとれたブリや白えびといった海の幸。生の刺身は初めてで食べられなかったが、厳しくも豊かな風土と優しい家族が彼女を出迎えてくれた。

歌が流れていた留学時代


  彼女が生まれ育った地、吉林省は寒いときはマイナス30度を下回るというほど中国でも寒さが厳しい土地として知られている。中国では寒い地方に育った人は、性格が大雑把だと形容されることが多いというが、彼女の人格形成においては、きっと寒さに負けない強い心根を育んだに違いない。奇しくも、彼女の滞在先となった富山県も日本海に面する有数の豪雪地帯。「憧れだった初めて着る制服は風が冷たくて寒かった」と話す。

写真を拡大お父さんと初めてのキャッチボール。運動は苦手だったが、思いのほかうまく、ほめられた。

  学校生活で一番苦手だった科目は体育。オリンピック の体操選手しかやらないと思っていた平均台にも挑戦した。中国ではレクリエーションほどの位置付けでしかない体育に皆が真剣に取り組む姿勢に驚いたそう。

  同級生が集うショッピングセンターまでは自宅から1時間はかかるという場所ゆえ、遊びにゆくことはあまりなかった。そのためもしかしたら普通の留学生が経験するような、友達との賑やかな経験はなかったかもしれない。しかし、何気ない日常においてそれ以上に大切なことを学んだのだろうと、言葉の端々から推し量ることが出来る。

  劉さんの留学生活を印象付けていたのは「歌」だった。朝ご飯の支度を待つ間、テレビから流れてきた朝の連続ドラマの主題歌『ありがとう』。車内でかけられていたユーミンの『恋人はサンタクロース』。いまでもこれらの歌を聴くと、あの頃を思い出すという。山を降りて学校まで向かう道中のこと、電車のシートに感じる暖房の暖かさ、空気の匂い。朝6時に自分に合わせて起きてくれて、毎日お弁当を用意してくれたお母さん。台風が迫っているにもかかわらず気遣って学校まで送ってくれたお父さん。様々なものや人への思いが彼女の留学時代を支えた。

  彼女は留学を通じ、普通だと思っていたことにより感謝できるようになった。その感謝の気持ちは帰国後、常に相手を思いやり、気遣いができる自分に変えてくれたそう。

  劉さんが話してくれたエピソードは、彼女の率直な性格を表すような、日々のなにげない生活から紡いだものが多い。きっと日本人の誰もが抱く、心の原風景が彼女の言葉には投影されているからだろう、澄んだ感性から紡ぎだされた彼女の言葉は、どこか優しく懐かしさを感じた。

今の若者と自分、そして未来へ


  昔の世代と比べ、中国では現在、経済力が上がるにつれ個人の海外留学も現実的となり、これまで限られていた職業にも手が伸ばせるようになった。昔が一つの体制で人生が決められていた時代だとしたら、今の若者は解放されて、自由な職業に就けるようになったと劉さんは感じている。そしてこのことは個人の選択が、良くも悪くも人生を大きく左右してしまうことを意味する。それゆえに悩む若者も多い。

  現在、多くの若者の憧れは会社経営者、政府高官、大手企業の社員となること。一言でいえばチャレンジ精神が旺盛な一方で、平凡な職業、人生を嫌う傾向にある。しかしそれにとらわれるあまり、努力もせずに盲目的に夢を追いかける若者も少なくないのだという。

写真を拡大帰国後、上海市に遊びに来てくれた日本のお父さんと観光名所の豫園にて。現在も深い親交を続けており、日本に行く時は必ず顔を出すという。

  劉さんはそういった風潮に疑問を感じており、今後は自分をよく見つめ、将来の目標を設定したいと考えている。彼女に一つの方向性を示してくれたのは、高岡市に住むホストファミリー。お父さんが海外でボランティア活動に従事していることを聞いて、劉さんも自分の手助けによって他人が笑顔になってくれる仕事がしたいと思った。現在はやりたいことを模索中だが、留学で培った経験を 生かし、きっと満足する答えを見つけるだろう。将来は「いつかホストファミリーとして、海外からの留学生を受け入れたい」と目を輝かせて話す劉さん。自分が受け止めた思いを次の世代に伝える。

  (取材・文:工藤光暢(NNA) (取材日:2013年12月21日)

  済南ふれあいの場開設イベントについてはこちら

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