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卒業生インタビュー

インタビュー 心連心プログラム修了生の「日中交流の担い手」として成長した様子を取材します。

Vol.012 仇 宇慧さん

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名前
仇 宇慧きゅう うけい さん

プロフィール
  山東省済南市出身。高校2年生の時に「心連心」プログラムの第一期生(2006年9月~07年7月)として、沖縄県立向陽高校(島尻郡八重瀬町)に留学。12年7月、北京外国語大学の日本語学部日本語学科を卒業し、同10月に株式会社リクルートキャリア入社。心連心の卒業生として初めて日本で働く社会人となる。

心連心プログラム初の社会人


  昨年10月に日本で就職し、東京の企業に勤める仇さん。心連心の卒業生としては初の日本で働く社会人だ。取材当日は、仇さんの勤務先があるオフィス街で待ち合わせ、お昼休みに足を運んでもらった。

  現在は法務関連の業務を担当している。仕事はどうですか?と質問すると「とても面白い、やりがいがあります」と即答する。背筋を伸ばし、こちらの目をまっすぐ見て話す姿は社会人1年目らしいフレッシュさに満ちている。仇さんが、こうして日本での就職を決意するまでには様々な出来事があった。「昔は自分が東京で働くとは想像してなかった」という。

  仇さんが日本に興味を持ち始めたのは中学校時代。地元の難関校である済南外国語学校(中高一貫6年制)の日本語学部に入学し、日本語の学習を開始。日本のドラマやアニメなどを見るに従い、日本への関心も膨らんでいった。なかでも中学2年時に参加した日本への修学旅行は、その印象を大きく変えた。

  仇さんと友人がある観光地に立ち寄った時のこと。プリクラを撮ろうとしたが撮影の仕方が分からなかった。当時はまだ日本語の会話が自由にできず困っていると、お店のスタッフが英語のできる人をわざわざ探して連れてきてくれ、撮影方法を教えてくれた。店内が混んでいるにも関わらず温かく対応してくれたことに、とても感動したという。そのほかにも、たくさんの日本人に親切にされたことが印象に残ったそうだ。

  「中国で紹介される日本人像は、仕事に熱心で、歩くのが速く、周りの人に無関心とされますが、実際はどこでも列を作って並び、道もきれいにするなどルールをよく守り、マナーが良いことが分かった」と好印象を持った。いつか、もっと長く日本に滞在してみたいと思うようになったそうだ。

視野が広がった留学生活


  その後、初めて募集が行われた心連心プログラムに応募し、第一期生として留学が決定。留学先は、沖縄県立向陽高校(島尻郡八重瀬町)。沖縄本島の最南東部、のんびりした雰囲気の町にある高校だ。仇さんは寮に入り、主に久米島や石垣島など離島出身のルームメイトと暮らすことになった。最初のカルチャーショックは、沖縄の人は伝統的な日本人とは気質がまるで違うことだった。「日本人といえば時間厳守のイメージですが、沖縄の人はのんびりしていて急がない。例えば3時集合と決めた場合も皆が集まるのは4時過ぎです」と、皆ゆったりした暮らしを楽しんでいるように感じたそうだ。

  学校生活では、バスケットボール部での活動が思い出に残っている。中国では受験競争が日本以上に激しいため、高校生は時間を惜しんで必死に勉強する。放課後も自習に励むのが当たり前だ。仇さんは沖縄にやってきた当初、授業以外の時間をどう過ごせばよいか戸惑い、放課後はずっと寮に閉じ籠もっていた。その様子を見たルームメイトが、女子バスケットボール部へ誘ってくれた。日本では高校生が部活動を楽しむことを、その時に初めて知った。

  しかし仇さん、実は運動が苦手。バスケも未経験のため練習に全くついていけなかった。ある日、寮の部屋でひとり泣いていると、当時の担任の先生が仇さんの元を訪れた。仇さんの話を聞いた先生は「体力がないのは仕方ない。マネジャーをやってみてはどうか」とアドバイスをくれた。仇さんも助言に従いマネジャーに転向したところ、これが結果的に成功。「皆と一緒の活動は、すごく楽しかった。続けて本当に良かった」と、その頃を振り返る。

写真を拡大寮のルームメイトとは将来の夢を語り合った

  日本での留学生活は仇さんの視野を広げてくれた。中国では勉強一筋だったが、高校生活には勉強以外にも部活やバイト、恋愛など色々な楽しみがあることを日本で知った。友達と学校近くのビーチに通い、キャンプやバーベキューを楽しみ、部活の合宿で一生懸命に汗を流した。那覇で開催された外国人向けカラオケ大会に心連心の同級生と出場し、準優勝したこともある。興味のあることには何でもチャレンジしてみた。

友人が語る将来の夢に刺激


  将来の仕事について意識し始めたのも、この頃だ。沖縄の友人たちは将来の目標をしっかり持っていた。ある友人は看護師を、別の友人は美容師を目指して専門学校に進学するなど、皆がそれぞれの夢を描き実現しようとしていた。「中国の場合、高校生は受験一筋で将来のことはあまり考えない。自分も全く考えていなかった」という仇さん。日本の友人たちが語る将来の夢に強い刺激を受けた。

  高校卒業後は北京外国語大学に進学。専攻は日本語学部日本語学科で、日本の映画、文学、茶道などの文化も学び、日本への理解を深めた。この頃は「将来、日本と関わる仕事をしたい」という漠然とした希望を持っていたが、まだ具体的なイメージはなかった。大学3年生の時、日本の大学との交換留学で再び日本を訪れるチャンスがやってきた。中国の学生はビザの関係で日本への自由旅行が難しいため「また日本に行けることになった時はうれしかった」という。留学先は埼玉県東松山市の大東文化大学。2度目の留学は、米国や欧州など世界中から学生が集っており、国際的な雰囲気だった。

写真を拡大大学時代の留学では北海道や大阪など全国各地を巡った

写真を拡大向陽高校の友人たちと東京で再会。今もLINEなどで連絡を取り合う

日本の企業に就職へ


  2回目の留学を経て、日本と関わる仕事がしたいという気持ちはさらに強まった。ある時、北京外国語大学の構内でリクルートが主催する「ワークインジャパン」が開催された。中国の新卒予定者を対象とした日系企業の就職マッチングイベントだ。日本で就職できるチャンスかもしれないと仇さんも応募した。日系企業3社の面接を受けた末、最終的に現在の勤務先であるリクルートキャリアから内定をもらった。同社は、業務で多数の日系企業と接する機会があるのが魅力だった。「日本の色々なことを知るにはいい機会だと考えました。自分がどのような分野で専門性を高めていくのか、それを考えるのに役立つと思いました」と就職を決めた。

  そして12年10月、就職のために来日。入社後に配属されたのは法務部門だった。全く知識のない分野で、本当に自分でいいのかと初めは戸惑ったそうだ。しかし、案ずるより産むがやすし、法務の仕事は面白かった。新人にも仕事をどんどん任せてくれる社風が彼女に合っていたのだろう。仇さんは入社後、自らの提案で上海への出張業務を企画。パートナー企業との調整や通訳を担当するなど活躍している。今年4月には日本人の新卒社員が入社し、後輩もできた。

  仇さんは今、仕事を通じて自分の成長を日々実感している。今後、自分の進むべき方向性も見えてきた。それは今の会社で、しばらく頑張り続けることだ。「将来的には中国に帰ると思うが、当分は日本にいるつもりです。少なくとも30歳位までは今の職場で頑張り、それから次のキャリアを確立していきたい」と、すっきりした表情で語ってくれた。何をしたらよいか分からないという戸惑いはもうない。まるで、自身の将来がその眼に見えているかのようだった。

写真を拡大仕事では中国語も生かして活躍中。労働市場や法務に関する本を読んで知識を蓄える

  【取材・文:岡下貴寛(NNA) 取材日2013年7月18日】

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