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卒業生インタビュー

インタビュー 心連心プログラム修了生の「日中交流の担い手」として成長した様子を取材します。

Vol.004 林琳さん

名前
林 琳りん りん さん

プロフィール
上海市普陀区出身。高校2年生の時、「心連心」の第2期生(2007.9~2008.7)として横浜市立みなと総合高校(神奈川県横浜市)に留学した。2010年9月に上海交通大学の芸術デザイン学部に入学し、現在同大学の3年生。勉強のかたわら、ダンスに打ち込んでいる。

日本の漫画に魅せられて日本語を始める

「クレヨンしんちゃんが大好きでした」。林さんの日本との出会いは漫画だった。幼い頃から絵を描くことがお気に入り。クレヨンしんちゃんやセーラームーンなどに触れ、日本に興味を持った。通った小学校では日本語を学ぶことができたため、迷わず選択。中学、高校に進学してからも日本語を学び続けた。

高校1年生の時、日本語の教師を通じて「心連心」プログラムの存在を知る。
ずっと気になっていた日本への興味に、外の世界を見てみたいという好奇心が加わり、日本留学を決意。16歳の娘が1人で海外に行くことを心配した両親も、最後は林さんの説得に折れた。

「やりたいことは何でもチャレンジした方がいい」と話す林琳さん

高校ではダンス部に所属

留学先は、横浜中華街のそばにある横浜市立みなと総合高校。
2年生のクラスに在籍した。

大学のように単位制を導入している同校では、必修科目さえ学べば、あとは本人が自由に履修科目を選択できる。中国とは異なる個人の自主性を重視した教育カリキュラムが新鮮で、「非常に自由な校風だと感じました」。

もちろん言葉の壁はあった。留学当初は日本語がちゃんと聞き取れなかったため、担任の先生の問いかけにいつも「はい」と答えていた林さん。「意味が分からないなら『はい』と返事しないで」と怒られたと首をすくめる。

授業では英語に苦労したという。例えば英文和訳を求められたら、まず英語のフレーズを頭の中で中国語に変換。さらに日本語に訳して答えを出さなければならない。クラスメートの何倍もの努力が必要だった。

それでもすぐに日本にとけ込めたのは、やはりバイタリティーあふれる高校生だからだろう。林さんは「苦しいこともあったかもしれないが、楽しかったことの方が多くて覚えていない」と笑う。

第2外国語はイタリア語を、体育はテニスの授業を選択した。3年生の修学旅行にも特別に参加し、楽しい時間を過ごした。

高校のダンス部のチームメートと

そして最大の思い出は、何といっても部活。昔から興味を持っていたダンスを学ぼうと、ダンス部の門をたたく。
踊ることに青春をささげた25人のチームメートとともに汗を流し、発表会にも参加した。その経験は留学で得た一番の宝物だ。

帰国してからも、ダンスは林さんの生活の一部となっている。交通大学では「街舞協会(ストリートダンス部)」に所属し、部長として40人の部員を束ねる。

専門はジャズダンスだが、最近はさまざまなダンスにチャレンジしている。また部活動の一環としてダンス教室を開講。プロの先生を講師に迎え、年間で130~150人の生徒を受け入れている。

大学のダンス部のチームメートと

大学に通いながらダンスも続け、さらにダンス教室の運営にも関わるのは決して楽ではない。だが皆が一丸となって練習し、完璧に踊れたときの達成感は何にも変えられない。これもすべて留学時代の体験がベースになっている。

娘のようにかわいがってくれたホストファミリー

ホストファミリーとの温かい交流も、「心連心」プロジェクトならではの経験だ。

数軒の家にホームステイしたが、特に印象に残っているのは4人の子どもを持つ1軒目の家族。3歳の男の子がいて、「漫画『クレヨンしんちゃん』に出てくるような、幸せを絵に描いたような家庭だった」(林さん)。林さんと同じ年の子どもが米国留学中だったこともあり、娘のようにかわいがってくれたという。

日中の文化の違いも強く感じた。ある家では、父親の料理が一番豪華だったことに驚いた。中国の家庭では普通、お年寄りと子どもの料理が一番。林さんの一家であれば、祖母と林さんが特別待遇だった。

母親が専業主婦として、すべての家事を引き受けているのも不思議だった。林さんの家は共働きで、お父さんが料理をすることも多いからだ。

留学したから今の自分がある

留学前はどちらかというと内気な性格だったが、日本から帰ってくると「明るくなったね」と言われることが多いという。感受性豊かな思春期に、言葉も分からず、知り合いもいない国で生活したからだろう。自ら進んで人とコミュニケーションをとる習慣がいつの間にか身に付いた。

留学前に持っていた日本に対する見方も、実際に行って、自分の目で見て、日本人と触れ合ったことで大きく変わった。留学を通じて日本人と中国人の間で本当の交流ができる、偏見もなくすことができると確信したという。同時にそれまではあまり意識したことがなかった祖国を見つめ直す機会にもなった。

中国には「初生之犢不畏虎」ということわざがある。「生まれたばかりの子牛は虎をも恐れない」という意味で、無鉄砲の例えにも使われるが、林さんはあえてこの言葉を使い「若いときには、多くのことにチャレンジしてほしい」と語る。

大学卒業後の目標も定まった。大学で学んだデザインと日本語を生かせる仕事は何かと考えたとき、広告代理店がピッタリだと思い、「日系の広告代理店で働きたい」。日本留学の経験は、これからも林さんの人生を支えていくに違いない。


林さんが描いたポストカード


林さんが描いた絵本の1ページ

プライベートでは、挿絵やポスター、4コマ漫画などを書くのも大好き。夢は漫画を1冊出版すること。日本留学中に、クラスメートの似顔絵を描いて褒められたことが絵を描き続けることの原動力になっているという。画風はクレヨンしんちゃんによる影響も大きい。「あの1年があったからこそ、好きなことを勉強したいと思えた。あの1年がなければ今の自分はいない」。林さんはこう言って、力強いまなざしを未来に向けた。

【取材、文:山田珠世(NNA) 取材日:2013年1月29日】

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